エゴン・シーレ-二重の自画像- 坂崎乙郎 岩波書店 1984/6 第1刷発行
●1918年スペイン風邪が原因で逝ったオーストリアの画家、エゴン・シーレに関する評伝。ほとんど何年も手に触れていなかった1冊。改めて本書を見て、2009年のいまでも他では見ることのできない図版が数おおく掲載されているのに気付く。話はそれるが、著者坂崎乙郎が自分にとっては、初めてシーレという絵描きを「イメージの狩人」という書物を通して自分に知らせてくれた人と認識していたが、その本を見る何年も前に、
グロリア社の「THE BOOK OF ART」に掲載されてる図版によって、シーレの絵を見ていたという事実に後に気付く。早い話、新潮選書の前掲書が自分にとっての初めてのシーレ体験ではなかったということだ。しかしここで自分のシーレ体験から離れて、この国、日本でのシーレ紹介ということで言えば、かなり早い時期にシーレについて力強く語っていたのは坂崎乙郎であったとう事実は見逃すことはできないあろう。
●坂崎乙郎について語るのはまた別の機会にして、まずエゴンシーレについて語ろう。人間の身体を描くということそれ自体、そして描くことのアプローチの方法として、20世紀のパイオニアともいえるピカソとは全然違った道を歩み、その意味でユニークでありながら、なおかつ新たな人体芸術のカテゴリーの創出しえたという意味でも、俗な言いかたになってしまうが、端倪すべからざる一人の画家、一人の人間であったと、いわねばならない。漫画家でも絵描きでも、彼らの描く、例えば人の手なら手を描いたすぐれた素描には、写真では感じられない「あー、人間の手というのはこういうふうに確かになっているよなー」という深い感慨がともなうものだ。当然このシーレの素描にも、そのことは言い得て、「エロスを追求した素描家」として捉えられることが多い彼ではあるが、それ以上に「人間の手を存在として確かに描ききった」手の素描家という側面からも、彼の仕事を見直してみるのも、一つのシーレの仕事を引き継ぐアプローチではなかろうか。
●ところで、いわゆる画家にかかわる本については、人によってその関わり方、アプローチがまったく異なるのではないだろうか。たとえば人によっては掲げられた図版に当然目が行くだろうし、またある人によっては、その画像に関する情報は既にしっていて、その画家についてどう解釈するかという、いわば言葉で書かれた情報、さらに踏み込めば「画家本人によって描かれなかった」言葉によって初めて知ることのできた情報について、まず目が向く人もいるだろう。
※(この項続く)
●エゴン・シーレ -ウィキぺデイアより
(Egon Schiele, 1890年6月12日~ 1918年10月31日)
20世紀初め頃のオーストリアの画家。エーゴン・シーレとも。当時盛んであったグスタフ・クリムトらのウィーン分離派、象徴派、オスカー・ココシュカに代表される表現主義のいずれにも属さず、独自の芸術を追求した画家であった。
●坂崎乙郎 (さかざき おつろう)
美術評論家。早稲田大学教授。
1927年 東京生まれ
1954年 早稲田大学院美術史科卒業、専攻、西洋美術史
1955~57年 西ドイツ留学
1976年 パリ留学
1985年 画家 鴨居 玲が亡くなったあと、後を追うように自殺。
●三島由紀夫の「鏡子の家」と下は吉本ばななの「キッチン」である。こんな装丁見たことないぞと思うかたも多いと思うが、日曜日の製本講座で泉さんに製本していただいたもの。「鏡子の家」に関して言えば、高校時代、友人にすすめられて読んだ。三島の割腹自殺があったのが私が中学の3年のときだからその印象がやはり強く、「三島由紀夫というのはなんかまずいんじゃないの?」程度の認識しかなかった。その幼稚な私の三島認識をたしなめるべく、友人のUがこの小説をよむことを勧めてくれのを思い出す。前から「鏡子の家」は読みなおしてみたいなあと思っていたのだが、このたび製本していただいたことを後押しにして、再び手にとって読む。
●吉本ばななの本は、今回泉さんからいただいたもの。しかしばななは一度も読んだことがないので、これを機に読んでみようかと思う。おやじさんの吉本隆明に関して言えば、結構好きで20代のころ、読んだ。今年の正月に、講演を記録したドキュメンタリーがNHKで放映されていて、虚空を見上げながらとうとうと語る姿に、感動した。
●聊斎志異 角川文庫 1970/02 改版初版発行
●怪奇小説といえば、なんといっても自分にとっては聊斎志異である。高校生のころ角川文庫の全四冊をセットで買った。そのころの定価で490円とあるが、今の物価にならしていえば1000円以上はしたと思う。今でもつんどく、買っとくという傾向があるが、そのころも何となく変な話が載っていて面白そうだと思いつつ、全くといってほど読まなかった。そして自分では読まないくせに、知ったかぶりをして「これは面白いぞ」とかいって、バンドを一緒にやっていた友人に貸したりしたものだ。その友人は、「なんだか同じような話ばかりでつまらない」と言って返してきたので、「なんだ、みんな同じような話ばかりなんだ・・・」と、得心がいった。その後、つんどくの功が奏したのか?50歳も近くなってから改めて読み直して、というか初めてまじめに読んでその面白さにやっと目覚めたものである。

●さすがに印刷は活版印刷ではないが、本文の製本は今ではあまり見かけない2方仕上げの本。買ったころは、やわやわのタッチの線で描かれていて、「あまり好きになれないイラストだなあ」と思っていたが、今見ると空間構造もしっかりして、なかなか味のある絵だなと思う。作者は、「カバー・口絵 井上洋介」とある。
●私が好きなのは翻訳している人の文体である。例をあげてみると・・・(この項つづく)
●日本文化の形成・宮本常一 講談社学術文庫 2005/07 第1刷
●カバーを飾る表紙のカラー写真が「クレイジー」なほど美しい。これと同じ
写真のクレイジーな美しさをを、かつて別なところで感じたことを思い出す。それは藤原新也の写真を見たときだ。彼の写真には「美しさが、常軌を逸している」と感じる一瞬がある。
●彼の写真の中に「常軌を逸した美しさ」という言葉のてざわりに、み合うものが立ち上がるのを感じる。だから彼が写す、例えば刑事事件が終ったあとの現場写真を直喩的に「狂気のように美しい」と、語らずにいられぬ私自身を否定できない。そのことを後追い的に明確に意識させてもらったのが、あの金属バット殺人事件の、一柳展也宅の“家”の写真だった。「ああ・・・。こういう美しさがやっぱり存在するのだ・・・」と、僕は絶句した。
●その画像との出逢いは、僕が28歳くらいの出来事だったと思う。“綺麗なものが、無条件でそれだけで成立してはいないと”いう事については、理屈では理解していた。だが、金属バットで頭を打たれた父と母、そしてその頭を物理的破壊を超えて、さらにイメージとしての父と母までを徹底的に破壊しようとたした息子が居た現場、その居宅の画像の不思議なほどの美しさに胸がうたれた。そして、その写真が掲載された単行本は「東京漂流」と名前をつけられて都市に、市場に流通し、その出現の勢いを眺める私自身の我ままで脆弱なこころをかきむしった。
●しかし、この本のカバーの写真にかんする印象と、宮本常一の話は直接関係ない。
●「御伽草紙」 岩波文庫 1985/10/ 第1刷
●文庫本といえば岩波文庫だった時代の発行かな?と思いきや、結構新しい1985年の第一刷である。勿論、第1版はもっと古いのでせうが(でしょうが)・・・。「古典に親しむ」という目的で札幌/山鼻のブックオフで買った、上下2冊。
●昼過ぎにお店を訪れて「岩波文庫」の在庫はありませんか?と店員さんに聞くと、さきほど午前中に、お客さんが大量に買っていったとのこと。見れば、がらんと軽く20冊ぶんほど、棚が空いている。そして残っていたのがこの「御伽草紙」。
●岩波文庫に限らず謂わゆる「教養関係」の文庫・新書はあまり売れないらしく、在庫一掃のためであろう、確かこのときには定価にかかわらず何でも100円で大放出していた。新刊で買えば結構高い岩波文庫。はて、「自分と同じようなおやじに買い占められたか?」と歯噛みしつつ、「600円が100円なんだから・・・でも、本当は“とりかへばや物語”がほしかったなあ・・・ でもこの本と出逢う機会はもう二度とないかもしれない・・」などとさんざん迷う
「個人・デモ・・・」を繰り返した後に買った上下2冊である。
●ここに貼り付けた画像では、とても分かりにくいと思うが、表紙に「御伽草紙」、(上)、市古貞次校注、とあり、さらに「鉢かづき、一寸法師、物くさ太郎、……。いつしか記憶にとどめている主人公たち。室町から江戸にかけておびただしく作られたこの種の物語は、とりわけ婦女子に読まれ耳をそばだたせ、絵によって目を楽しませた。本書には江戸中期大阪の書肆(渋川)が、主だった草紙23篇を選び刊行したものに、挿絵200余葉のすべてを併せ収めた。(全2冊)」とある。AMAZONブックレビューの、ハンドルネーム“楽徒さん”によれば
鉢かづき、物くさ太郎、浦島太郎、一寸法師、酒呑童子など、たいていの人が子供の頃に聞いたことのある昔話がたくさん詰まっています。そういう意味ではまったく未知の世界ではなく、新鮮な刺激に満ち溢れているわけではないのかもしれません。
しかし、上に挙げたような有名なお話でも大人になった頃にはけっこう忘れているものですし、子供向けの絵本などでは省略されている内容も散見され、大人が読めば「そうだったよな。懐かしいなぁ」とか「へぇ、へぇ、へぇ~……」ということになると思います。(某有名クイズ番組で浦島太郎の年齢を問う問題が出題されていた。答えは「年の齢二十四五」ですが、解答者の某有名野球選手は鉛筆を転がして正解を当てた。ある意味ですごい…)
本書には現代語訳はついていませんが古文としてはかなり易しめなので、原文のままでもあまり苦労せずに済みます。苦手な人も、もしかしたら、これをきっかけに古文好きになれるかもしれません。また高校生のお子さんがおられる方などは、古語辞典を片手にお子さんと通読されるとけっこう楽しいかも(勝手な想像ですが)。文庫ということで値段も安いですし、とにかくオススメの作品です。
と。
●「天才アラーキー/写真の方法」 集英社新書 2001/5 ・第1刷
●著者についてはあまりに有名で、解説不要のおじさん?の本。しばらくぶりに手にとって初めて読んだ章が、「第十二章 鑑真和上を撮る」。わたし自身も娘と二人で、2006年の夏に道立近代美術館で「鑑真和上展」を見てそのお姿に触れていたので、荒木節を聞くみみにも力が入る。
●わたしが美術館で見たときは保存配慮のためか、結構照度をおとしていたのでよく分からなかったが、荒木おじさんによれば、そばでみると「髭とかね、ものすごく細かく、ちゃーんと描いてあるんだから。」とのこと。造像当時の衣服への着彩の残りがかすかに見えて・・・・・・、といった地方むけニュースでの紹介もあったように覚えているが、そこまで細かく描かれていたとは、とんと気付かなかった。
●荒木おじさんも本の中で言っているように、「まるで生きているような感じの坐像」である。恐らく天平の昔から唐招提寺におつとめしてきたお坊さんたちも、「ああ、あそこに鑑真和上様が座って、われわれの行いを見守っておられる」と、思ったのではなかろうか。ついでに言えば、最近ケーブルテレビで、唐招提寺プロジェクトの一環として、講堂の補修作業がドキュメントされていたが、天平の時代の木造建築の技術の高さにも改めて驚かされた。
●しかし、本当に感嘆するのは、その技術それ自体の高さというよりは、その技術の高さまでならしめた、こころざしの高さである。その気魂が、鑑真和上の姿を「生きている」と思わしめる、造像の力に通じていると思う。名もなき仏師がこめた気魂と、講堂を作った大工の気魂、そして鑑真和上の教えを伝えたいと思った僧侶の気魂。そして仏法の根本について伝えたいと願った、鑑真和上その人の気魂。それらの全てが唐招提寺のもろもろの文物に宿っているのではないかと考えるのは、わたしの邪推だろうか・・・。
荒木おじさんの“本”を通じて、改めて鑑真和上に出逢わせていただいた、今宵、西暦2009年の春である。
●この記事に関連するブログは→
こちら
●・・・ということで、何故表題の「聞き書き学会について」であるかというと、先ほどちらりと引用した荒木おじさんの文章でも分かるように、この本全編、インタビューをそのまま活字おこした文章で構成されている。そのあとがきを見ると・・